My Architecture Report

建築探訪エッセイ。だいたい月一回更新。

下北プラトー / BONUS TRACK

大学進学で地方から東京に出てきた当時の自分にとって、下北沢は憧れのお洒落スポットだった。地元の大学に進んだ友達も、初めて東京に遊びに来たときにはすぐに下北沢にかけつけ、はしゃぎ、舞い上がっていたのを覚えている。時は徐々に流れ、街への想いも徐々に変化していき、今度は子供っぽい憧れを寄せ集めるにすぎないごみごみした街と見なして下北沢を卒業した気に、一度はなる。だが、さらに人生経験を重ねると、よく言われるように多様な個性を受け入れる街としての下北沢の魅力をやっと素直に認められるという安定状態(プラトー)に達して落ち着く。現地で街のエネルギーにさらされても、自分の存在がおびやかされるような不安は感じずに済む程度には大人になり、また図太くなって、身の丈にあった街の楽しみ方ができるようになってくるのだろう。僕も2年ほど前の初夏には、本多劇場大森南朋さんや麻生久美子さんの出演する舞台を観劇して楽しんだ。

そんな下北沢も変化のただ中にあり、小田急線の下北沢駅を挟んで東北沢駅世田谷代田駅の間の地下化した線路の跡地1.7kmにわたるエリアで、下北線路街と名付けられた開発が進んでいる。事業主体の小田急電鉄による「下北線路街エリアマップ」を見ると、商業施設、賃貸住宅、広場、宿泊施設など、実に13ブロックが整備される計画で、開発は2021年まで継続する見込みだという。今回の目的地は、その下北線路街の一角、この4月にオープンしたばかりの商店街、下北沢駅世田谷代田駅の間に位置するBONUS TRACKである。

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訪問したのは過ごしやすい気候の午後。前の予定との関係で、下北沢駅からではなく、南の住宅地から鎌倉街道を歩いてBONUS TRACKにアプローチした。駅とは少し離れていて、BONUS TRACKの2階建ての建物群は周りの低層の住宅街にサンドイッチされるように並んでいる。グレー基調の外壁、柱や軒裏の現しの木材、片流れの薄い屋根などが特徴で、戸建て住宅の集まりのような落ち着いた一連の外観だ。旧線路方向に延びる遊歩道や分棟形式の建物の間の中庭的広場には新しい樹々の葉が色づき、若い家族連れなどがカフェでテイクアウトした飲み物を片手に過ごしていた。下北沢駅を見返すと、公園ができる予定の線路跡地の工事現場越しに駅まで見通せる。一方、世田谷代田駅のほうに歩いていくと、完成したばかりの保育施設や小公園、さらに行くと温泉施設の工事現場に行き当たる。つるはしのひと振りごとに、こてのひと塗りごとに街が作られていくように感じられる光景だ。

このように、線路跡地に新たな街やオープンスペースが連続していくBONUS TRACKとその周辺の環境の第一印象は非常に良いものだった。これがその日の気持ちのいい気候やなんとなく生き生きとして見える雰囲気に影響されたに過ぎないものなのか、あるいは建築とランドスケープの丁寧な設計に根ざした、より確証のあるものなのか。それを確かめるためには、あえてコンディションの悪い日に再訪してみるといい。実在する場所はプレゼン用のパースと違って、明るさの調整や人間の添景による賑やかしでその場の質を取り繕うことはできない。どんな天気や時間帯でも、いいと感じる場所は十分いいと感じ、逆に、楽しげな人たちで賑わっていなければ、いいと感じない場所もある。

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というわけで後日、下北沢の近くに用事があった雨の日の昼頃、BONUS TRACKを再訪した。下北線路街の他のブロックも見てみようと、今度は下北沢駅から再びアプローチしてみることにした。まずは東北沢方面に少し足を伸ばす。こちらはまだ工事中で、「空き地」という名の広場にぽつぽつと屋台が並んでいた程度だった。続いて下北沢駅の上に新しくできた飲食店街「エキウエ」。半屋外の風通しのいい吹抜けコンコースの両側に飲食店が軒をつらねている。広々とした明快な空間は、道が複雑に入り組んだ下北沢において方向感覚を整える基点としての役割も期待したいと思った。エキウエの端のデッキテラスからは遠くにBONUS TRACKも見えている。その間に広がる工事中ブロックを迂回して、再びBONUS TRACKの入口に到着。雨のため外で過ごす人はいないけれど、もの寂しくはない。考えるに、建物の外観デザインにおいて店舗の要素は庇やサインのアクセントにとどめられており、全体としては落ち着いた住宅のテイストに統一されていることが一因かと思う。つまり、ショッピングモールのように商業テイストを前面に押し出すような場においては通行人が少なくなるにつれて寂れて見える一方だが、住宅地を歩いている人が少なくても、閑静という好意的な語彙で形容しこそすれ、それが即ネガティブな印象に結びつくわけではないだろう。

傘をたたんで中に入り、テナントをゆっくりと回ってみる。まずは商業棟1階の展示スペース。「はじめまして、BONUS TRACK展」と題して、この商店街のオープンに至る経緯などが、設計者のツバメアーキテクツ提供の図面や写真、運営をになう散歩社による動画で紹介されている。地下化前の下北沢駅の写真は郷愁を誘うものがあったし、敷地の全域を青空駐車場とした場合の平面図資料などは、曲折を経て現在にたどり着いたことを実感させてくれる。建築計画の観点からは、設計段階でのボリューム配置検討が興味深かった。最終案では駐車場が二列で入口前に寄せられていて、また分棟の建物配置の方向は遊歩道に対して直行するグリッドを基本としている。だが検討段階では駐車場が一列に長くのびていたり、グリッドも遊歩道ではなく周囲の住宅に合わせて斜め向きであったりしている。いずれも最終案と比べて外部空間のスケールや連続性にメリハリがなく、地道な試行錯誤を経て案が磨かれていったことが想像される。

展示スペースの奥へ進んでいくと、そのまま屋内でつながっているテナント「恋する豚研究所 コロッケカフェ」に通じる。下北沢エリアからだと最初に目に入るテナントである。ちょうど昼過ぎの時刻になったので、ここでコロッケ定食の昼食をいただく。うまい。隣のテーブルでは取材に来たらしきカメラマンが、お店の人の協力をあおぎつつコロッケの写真を念入りに撮影していた。中央の大テーブルでは、学生の集団が食事をとりつつミーティングのようなことをしていた。高い天井による空間のプロポーションが良く、人の活動が映える。

屋外階段で2階に上がると、新刊書店の「本屋B&B」。トップライトからの自然光が入る明るい書店だ。入口付近には下北沢にゆかりのある小説家の藤谷治さんやよしもとばななさんの著作がずらりと並んでいるなど、文芸やデザイン関連の書籍の密度が高い品揃えだと感じた。

外に出てSOHO棟を軽く散策する。10件前後のテナントが寄り集まっている。いずれも1階部分の数坪程度が店舗区画なのだが、和菓子、お粥、DIY賃貸の不動産など、それぞれ独自のジャンルを突き詰めていて、小さくもエッジの効いた店の並ぶ商店街を形成している。個人的には、日記文学に特化した書店「日記屋 月 日」が面白かった。扱う対象の狭め方にセンスが表れている。

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このように現地での体験を時系列に並べていくと、それこそ散歩のようにとりとめのない文章になるわけだが、調べていくと、マスターリースを担当する運営会社として設立された散歩社の小野さん、内沼さんという二人の仕掛人が、BONUS TRACKの企画運営全体を貫くキーマンだとわかってくる。展示スペースの動画の中で、コロナ情勢下でもできる範囲で営業を続けていく姿勢などを語っていたのも彼らなのだった。いくつかのネット上の記事で散歩社設立の経緯についての詳しいインタビューも載っているのでここでは割愛するが、先に書いた本屋やお粥屋は実は二人のそれぞれが代表を務めている店がこのたび出店してきたものでもあるなど、直接間接に場の空気を生み出しているようだ。

分棟形式で心地よいスケール感の庭や広場が連なる建築の構成は、特に建築学生や若手建築家により、ある種の良心的な空間類型として繰り返し提案・計画れてきた。BONUS TRACKはそうしたハード面と、運営やテナントといったソフト面、さらには線路跡地というインフラの要素も折り重なった、とても読み応えのあるプロジェクトなのだった。コロナの影響でオープン後も縮小営業を余儀なくされているようだが、それとて、オープン時の瞬間風速だけが大きいよりも、ゆっくりと街に馴染んでいく過程としては長い目で見れば悪くはないことのように、無責任ながら思えてくる。そんなしなやかさな強さも備えた場所として、これからも近くを通る際にはにふらっと寄って、その育ち具合をフォローしていきたいと思ったのだった。

こうして二回の訪問を通しての感想を頭の中でなんとなくまとめつつ下北沢駅へ戻ろうとしたところ、遊歩道を歩く視察グループとすれ違った。デベロッパーの社員の方々だろうか、ワイシャツ、革靴、黒いバッグといったアイテムをきちんと揃えた男性の一群が、お店の人に案内されている。ここの本屋よりは、東京駅前の丸善の1階のビジネス書コーナーにいそうである。とはいえ「下北沢に来るならもっとラフな格好でいいのに」みたいなツッコミは、もう言わない方向でやっていきたい。なぜならば、今や僕は、多様な個性を受け入れる街としての下北沢の魅力を素直に認められるという高次の安定状態(プラトー)に達しているはずなのだから。はずなのだから…はずなのだから…