My Architecture Report

建築探訪エッセイ。だいたい月一回更新。

流れと場所 / 時間の倉庫 旧本庄商業銀行煉瓦倉庫

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三寒四温の日々が続く五月中旬の金曜日。その日は晴れて暖かかったので、建築エッセイの探訪に出かけることに決めました。今回の行き先は、埼玉県北西部の本庄市にある「時間の倉庫 旧本庄商業銀行煉瓦倉庫」。前日にリサーチしていると、某旅行ガイドブックの本庄市を特集したページを見つけました。その中で、2016年にゆるキャラ準グランプリを獲得したという埴輪のマスコット「はにぽん」が、自然や史跡の豊かな本庄に「おいで、おいで」とばかりに楽しげに招いてくれるのを見て、これは一日も早く行かねば、と思ったのです(五月病でしょうか)。金曜日当日は朝に仕事をさばいて、11時に出発。高崎線にガタゴトと揺られて北に向かいます。

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本庄駅の北口に降りると、そこに広がるのは地方都市の静かな街並みです。行き交う人の数こそ多くないものの、駅から延びる中心の通りは電線地中化が済み、舗装もきれいに整えられていて、都市の張りを保っているとの第一印象を受けました。遠方まっすぐには、利根川に架かる大橋の白い支柱がすっくと屹立しています。時刻は13時前。まずは腹ごしらえです。前出の旅行ガイドのすすめるエスニック創作料理店に、少し遠回りですが行ってみました。するとこれが大当たり。しっかりした味と手頃な値段のメニューも、ハイサイドライトから光を採り入れ、木材をふんだんに使った店内のデザインも見事でした。昼食の時点ですでに満足して帰りたくなる心境は、先月の太田市とよく似ています。 

気持ちを新たにメインの建築見学へ。駅のほうへ引き返し、中山道を東から西に歩きます。本庄は、中山道の宿場町として発展し、近代には養蚕市場により繁栄してきた都市なのです。今でも、中山道周辺にその歴史の蓄積が色濃く残っていて、それこそ、タモリがブラブラと歩いていそう。微妙な道の曲りくねり、点在する寺社や蔵、井戸。そして、中山道ぞいの、狭い間口の町家や地割の作る景観。ぼくはこれまで、どちらかといえば求心性のある都市で暮らしてきたので、交通や歴史の流れがそのまま立ち現れたような宿場町を歩いていると、いかにも異郷に来たなあという心持ちになります。

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十分ほど歩いたころ、旧本庄銀行煉瓦倉庫が見えてきました。中山道に面して妻面を向けた、奥に長い煉瓦の外壁の2階建て。かわら葺きの屋根は寄棟です。建物の平面は短手10m、長手36m程度、横に同じくらいの大きさの駐車場の空地が広がっているので、建物の長い壁面がよく見えます。周囲の中でもひときわ大きくずっしりとした存在感。しかし同時に、均等に並んだ窓は端正で、煉瓦壁面の明るい色彩が華やかでもあります。奥のほうまで歩くと付属の蔵があり、裏の道につながっています。煉瓦倉庫の外壁には「ご自由にお入りください」との張り紙が。入り口も不用心なほどに開け放たれています。そこで、後方の出入り口からひっそりと足を踏み入れました。

中はシーンとしていて誰もいません。広い一室空間で、すっきりとした郷土資料館といった雰囲気。窓が多いので全体が明るく、壁面の煉瓦が一朝一夕には出せない風合いを放っています。人の身長ほどある山車のジオラマが三つほど並び、中央には新設の空調機の周りに本庄やこの建物を紹介する展示パネル。中山道側の端まで室内を歩くと、テーブルとパイプ椅子の並ぶ広々とした休憩スペースになっていて、壁際にはこの建物が取り上げられた雑誌や書籍が棚に並んでいます。と、後方からおじさんとおばさんのにぎやかな話し声が聞こえて、振り返ると、「じゃ、来週よろしく」みたいな言葉をかけ合って、おばさんは駐車場側の扉から外に出て行きました。おじさん短い白髪で、は姿勢が良く、モスグリーンのジャケットにナイキのスニーカーといういでたち。ハキハキとしていて、話すのが好きそう。リタイア後に施設の管理を引き受けているといった風情です。向こうも僕に気付いたようで、「ようこそいらっしゃい」「お邪魔しています」と互いに会釈しました。「今日はどちらから?」「東京です」「歩いて来られました?」「エッ…」一瞬言葉に詰まりました。「いやいや、電車で」そう伝えると、おじさんは気にとめる様子もなく「そうですか」と話を続けます。どうやら中山道ウォークをしているのか、との意味での質問だったようです。こちらが建築の仕事をしていると伝えると、壁際の棚をまず案内してくれました。「色々と参考資料もありますよ。これは早稲田大学の調査報告書で、ネットでも見れますが」「ええ、それはざっと見てきました」「そうですか、それが一番詳しいですからね」他にも建築系の雑誌、地元情報誌、パンフレット類、ポストカードなどが並んでいます。

「このあたりもようやく連携がとれてきたんですよ」おじさんの話は続きます。周辺の地域の近代産業遺産の保存再生活動のことのようです。「伊勢崎はちょっときれいすぎですけどね」と、伊勢崎市境赤レンガ倉庫のパンフレットも渡してくれました。たしかに、その表紙に写っている壁紙のようなレンガ壁面に対して、目の前にある本庄の内壁は、上から塗られていたしっくいを撤去した跡がうまい具合に残り、粗い素材感にあふれています。おじさんの発言に郷土への誇りを垣間見た気がして、来てよかったと思いながら、「たしかに。(高崎線で本庄より少し東京側の)深谷駅もピカピカでしたね」と相槌をうちました。もっとも、伊勢崎や深谷の方に話を聞けば、それぞれ本庄より優れている点をいくつも挙げてくれるに違いなく、またそうあるべきでしょう。

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 旧本庄商業銀行煉瓦倉庫は1896年の建設。地元の銀行が融資の担保として預かる繭を保管するために建てられた倉庫です。その後数回所有者が代わり、1977年から洋菓子店として活用され、2011年の閉店に伴い、本庄市民のための施設として保存改修のプロジェクトがスタート。耐震補強を含む全面改修を経て、昨年四月にオープンしたようです。おじさんは、「ここが売り場で、こっちが事務所で…」と、洋菓子店だったころの様子もよくご存知のよう。今回の改修では建設当初の姿に戻すことが基本方針であった一方、洋菓子店時代に追加された出入口部分は完全には戻されず、その存在の跡が感じられるようになっていたりもします。

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当初は繭の倉庫に使われていた2階にも上がらせてもらえました。改修後の今はイベントを催す多目的スペースになっていますが、この日のこの時間は空いていました。両側の煉瓦の壁に、木材が斜めに組まれた屋根の小屋組が帽子のようにヒョイと乗っただけの、単純な、がらんどうの空間が広がっています。柱や間仕切りのない空間とするために採用された、当時の先端技術であるキングポストトラスの小屋組。換気や防犯のため網戸や鎧戸が内外にとりつけられた窓。大量の繭を効率的に保管するという機能にただ特化しただけの空間を、120年以上も後の人たちが合理的で美しい空間としてそこに引きつけられ、集まったり、鑑賞したりしているのは不思議です。「時間の倉庫」という、いささか文学的な愛称にも合点がいきます。窓からは周囲の道や瓦屋根の街並みが見えます。

そして驚くべきことに、事前に軽く予習してきたとはいえ、耐震補強で追加された要素がほとんどまったく見られません。今回加えられたのは、 

a.基礎  b.1階中央の壁  c.2階の床の補強

d.1・2階を通る8本の柱  e.屋根の補強

このうちa.基礎、c.2階の床、e.屋根については既存部分の仕上げに隠れて見えません。bは空調機械置場と一体。dは目立たない黒系の色に塗装されて端に配置されています。建物のキースペースの2階には、dの柱が端に控えているだけです。(こうして後から挙げてみれば簡単に思えるかもしれませんが、これはコロンブスの卵のようなものだと思います。先述の早稲田大学の報告書の中の、学生が作成したと思われる改修提案の三つの案は、いずれも2階の中央に壁や柱があらわれていました。)しかも今回の耐震補強は、自立する構造体として設計されていて、将来、再度の改修が必要となった際に取り外すこともできるのだとか。「現地に行ってみると建築家は何もしていないように見えるだろう」とは、設計者の福島加津也さんの言です。

バリアフリーのエレベーターで1階の最初の出入口の近くに降りてくると、奥の事務机でおじさんがパソコンに向かって作業をしていました。「2階はどうでしたか?」「すばらしいですね。普段は何に使われることが多いんですか?」「コンサートが多いですね。さっきの女性の方も来週のコンサートのチケットの問い合わせに来てたんですよ」それからおじさんは、山車のジオラマを指して、淡々と解説してくれます。「本庄は元々裕福な町だったみたいですね。利根川が近くにあるでしょう」「ええ、駅から橋が見えますね」一気に意識が北の利根川へ向けて移動する感じがします。「水運も盛んだったみたいです。要はここから上流にはなかなか港が作れず、本庄に集中していたんですね」「なるほど」そんな話をしてから休憩スペースの方に移り、自販機の冷たい飲み物を飲んで一休みしました。

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おじさんにいとまを告げ、駅へ戻る前に、ほど近くにある歴史民俗資料館に寄ってみることにしました。こちらは明治時代の擬洋風建築を利用した資料館。なるほど、瀟洒な2階建ての洋館です。ところが、ちょうど閉館時間になったところのようで、入ることはできず。「はにぽん」のモデルになった埴輪が中に展示されているはずだったのですが、残念です。きびすを返して駅への道を歩き出したとたんに、タモリの番組の井上陽水のエンディングテーマが頭の中で流れ始めました。