My Architecture Report

建築探訪エッセイ。だいたい月一回更新。

谷戸の風景 / NOTCH HOUSE、和泉川

1、NOTCH HOUSE

常軌を逸した暑さか、さもなければ台風か。そんな苛酷な気候が続くなかではありましたが、8月上旬の日曜日、知人の建築家の溝部礼士さんの設計で新しく完成した住宅「NOTCH HOUSE」のオープンハウスに行ってきました。横浜市の内陸部、相鉄線いずみ中央駅から涼やかに流れる和泉川に沿って歩き、少し高台に登ったのどかな住宅地の敷地にその家は建っていました。近くの林の小さな赤い鳥居の前から、テラスをそなえた紺色の外壁に方形屋根をのせた家の構えが見えます。

林の前の道から曲がった空き地状の袋小路に面した二軒目、木造2階建ての、ガルバリウム鋼板仕上げのお家です。玄関前の外構はまだ工事中。家の前ではお施主さんの男性と小さな女の子もいらっしゃいます。外に出された受付カウンターに記帳し、共同設計の事務所TAIMATSUの所員だという若いスタッフの方から紙コップに頂いたアイスティーで喉をうるおします。

時刻はちょうど14時。現地集合で一緒に見学することにしていた友人は既に来ていて、家の中で溝部さんと話をしていました。溝部さんも僕に気付いてくれてお互い挨拶します。会うのはおそらく一年ぶり。溝部さんはぼくが知っているのと違って眼鏡をかけていたので一瞬誰だかわかりませんでしたが、すぐに慣れました。元気そうです。早速、友人と二人で家の中を見て回ります。他にも何人かの見学者の方々が出入りしています。

玄関を入るといきなりホールになっています。低い天井の板金の波板が特徴の空間です。友人もぼくも、なんとなく秘密基地のようなその空間の雰囲気に早速くいつきました。溝部さんによると、お施主さんの身内が板金職を営まれていて、この天井部分は自主施工のようにして作ったそうです。建物の平面形は、四角形の西側の一辺を三角状にくり抜いた(これがノッチというわけか)ような形をしていて、その三角形の部分が1階では奥の庭に続いています。その他、中央のホールの左右に子供部屋がふたつ、寝室、水まわり。

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2階に上がるとうってかわって、方形屋根の木造の架構が現しとなった、高い天井の開放的なLDKの一室空間が広がっています。三角形の部分は2階ではテラスになっています。そして、テラスごしに中景の林が見えます。聞けば、遠くに富士山が見える日もあるとのこと。住宅地の敷地にあって、斜めに向けられた開口により、眺望がうまくコントロールされているのです。お施主さんと女の子も2階に上がってきて、庭かテラスかに置くデッキチェアをダンボールの箱から取り出して組み立てていました。女の子は、まだがらんとした真新しい住みかの中で自分の身体をもてあましているように、大人たちの周りをくるくると動いています。溝部さんはその子にかまってあげたりしつつ、ぼくたちに三角形状に庭やテラスをくり抜く構成は、林への眺望や卓越風の取り込みのために決まったことなどを説明してくれます。

その他、溝部さんの話。総じて、予算との戦いです。「予算がタイトで、子供部屋の出入り口には建具をつけていない。また、照明はイケアの既製品を適宜利用している」「2階の天井は板金で仕上げる案もあったが、予算削減と空間の広さ確保のために構造現しとした」「内壁は紙クロス素地仕上げ。通常塗装するものだが今回はしていない(これはこれで味わいのある仕上げです)。汚れが目立ってくる可能性があるが、気になったら塗装すればよい」

キッチンの背後のカウンターに、このプロジェクトの図面や資料一式の製本が何冊か置かれていて、友人と一枚一枚眺めていきました。溝部さんは平日のうち2日は組織設計事務所でオペレーターとして働き、残りの日で自分の仕事をするスタイルをここ何年か続けられています。お施主さんとの打ち合わせ資料が特に興味深く、友人と資料を時系列に追っていきます。「大まかな構成はかなり初期に決まってたんだね」「階段の位置が違う。実施設計になっても違うままだ」「最後の最後で変わったのかね。収納との兼ね合いで」そんな話をしながら、頭の中には一軒の住宅ができるまでのドキュメンタリーが浮かびあがってきます。30坪程度の規模の住宅とはいえ、お施主さんとの打ち合わせ、煩雑な手続きから設計のディテールに至るまでを基本的に自分一人でまとめるのは、細部まで分業化された会社のシステムのなかで設計の仕事をしている自分たちからすると、なじみが薄く、ゆえに大変そうに見えます。より正確に言えば、どの程度大変なのかも実感としては理解しづらいところがあります。「だいぶじっくり見てくれてますね」と言う溝部さんにぼくたちがその素直な感想を伝えると「でも大きなオフィスビルの設計も大変ですよ。それもよくわかります」とフォローしてくれました。やっぱり彼はナイスガイ。

 

2、和泉川

オープンハウスを後にし、いずみ中央駅からひとつ隣のいずみ野駅で電車を降りて友人と別れ、そこからバスと徒歩で北に向かいます。東海道新幹線の線路(東京方面に行くのぞみがものすごい速度で下を通り過ぎていきました)の上を横切り、しばらく道路を歩くと、和泉川に出ました。一般にはあまり有名ではないかもしれませんが、和泉川は横浜市を北から南に流れる二級河川で、特にこれから歩く東山の水辺・関ヶ原の水辺は、谷戸の風景を守る河川整備の取り組みが2005年の土木学会デザイン賞の最優秀賞を受賞しています。近くに来たのを良い機会に、歩いてみることにしたのでした。

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和泉川から分岐するように池が開けた宮沢遊水池から北へ遡るように歩きはじめます。写真のように、両側に斜面林、中央に自然の水敷の和泉川の小さな流れ、その間に道や宅地や畑地が平行に続いています。ところどころに、遊水公園のような親水空間が広がっています。少し寄り道して和泉川と直交する方向に斜面の坂道を登っていくと、台の上には団地や老人ホームがあったりして、土地の性格が変わります。坂道を下ると、また浅い谷によって市街地や幹線道路から隔絶された、緑の匂いのたちこめる谷戸の風景に戻ります。汗がぼたぼたと落ち続ける現実離れした烈暑も手伝って、しばしの別世界のよう。静かでありつつ人の生活の気配もあり、岸辺で遊んでいる親子や畑仕事に精を出すおじいさんと行き合ったりしました。鳥や蛇も見ました。

この場所で谷戸の風景をになっている要素は、和泉川、斜面林、道、宅地や畑です。シンプルなものです。それでいながら、土木と建物、土地利用の構成が地形や自然と明快に対応していて、一体感があります。同時に道が川に沿ってカーブしていたり、畑地、果樹園、雑草地など様々な緑地が展開していたりします。ただ水や緑があるから美しいのではありません。地形や自然条件と宅地や農耕地との連関の秩序と、その中での変奏があるからこそ美しいのだと思います。その秩序は、谷という完結した景色を通して誰にでも直感的に体得できるものです。

とはいえ、アースデザインは、建築のように敷地境界がはっきりしているものではないため、どこに人の手が加わって、あるいは加わらないで、この景観が実現されているのか。自分の知識経験ではにわかに判断できません。後から調べたところによると、たとえば整備の河川空間設計過程で流路断面の見直しが図られ、低水敷のみの単断面可道であった流路を、低水敷と高水敷の複断面流路にする変更があったそうです。

たしか建築家の原広司さんの言葉にあったと思いますが、谷というのは、朝と夕方で反対の面に陽が当たり、まったく違う表情を見せるものです。谷の環境全体が大きな日時計のようなものだと言えるかもしれません。和泉川の谷戸は、横浜の原風景とも形容されます。たしかに、地質学的な時間、人間の歴史の時間、一日の日常の時間といったいくつもの尺度の時間のなかで自分が立っている点の位置づけをつねに与えてくれるような安心感を、和泉川には感じます。原風景のなせるわざなのでしょう。

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もともと和泉川のことを知ったのは、都市再生の事例を集めた書籍『世界のSSD100』(SSDはサステナブル・サイト・デザインの略)の中で紹介されていたから。その本の中で、和泉川において谷戸の景観の保存や多自然型の河川サステナブル・サイト・デザイン空間の整備が成功した理由が二つ挙げられています。ひとつは、二級河川であるため、まちづくりの主体者である横浜市が同時に河川管理者であり、調整や連携がよく機能したこと。もうひとつは、市の職員だけでなく市民をも巻き込み、その交流が円滑な合意形成に寄与したこと。なお、同書の和泉川のページのとびらには、水辺にふくらはぎまで浸かって遊ぶ一人の男の子の後ろ姿の写真が掲載され、「河川の整備によって一番恩恵を被るのは、最も視線が地面に近い人たちかもしれない」という言葉が添えられています。このようなきざな言い回しを読んだり聞いたりするのは嫌いではありません。