My Architecture Report

建築探訪エッセイ。だいたい月一回更新。

空気をかたどる / TUNNEL、Ohnari Alley

4月と5月の退職に伴う有給消化期間は丸ごとステイホーム、すなわち在宅休暇として過ごしたのち、緊急事態宣言が解除されて社会が徐々に以前のペースに戻りはじめた6月からは、僕も知り合いの事務所を手伝いに行くなど社会復帰しはじめている。とはいえ、電車に乗ること、外食すること、仕事上のコミュニケーションなどのすべてが久しぶりのことで、最初は感触を思い出しながらの生活だった。建築を見に出かけることもそのひとつ。以前は見に行く建築を決め、多くの場合は一応の下調べをしてから現地に赴き、その場での気付きや発見を記憶にとどめ、後日それを思い出しながら文章にアウトプットするという一連の流れをこなしていた。いま「一連の流れ」と書いたが、2か月間のステイホームによって、従来の行動と思考の流れはなまってしまったかもしれない。6月の後半になって思い出したように何か建築でも見に行くかと、ひとまず対象を定めて出かけはしたものの、現地での体験の密度は薄く、梅雨のぐずついた天気に気分も乗らず、すごすごと退散した。ところが、捨てる神あれば拾う神ありではないが、ちょうどその帰りの電車の中で、内覧会の案内の通知を受信した。建築レポートのネタが突然の内覧会に救われるという構図は、3月の「さくらこみち」とまったく同じだ。今回、内覧会の案内をくれ、はからずも拾う神の役割を演じてくれることになったのは、大学の建築学科の同級生で、現在は独立して建築設計事務所を主宰している鈴木岳彦君である。せっかくなのでこの際、昨年完成した彼の別のプロジェクトについてまずは書いてみたい。

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1、TUNNEL

それは「TUNNEL」と名付けられた、小さな離れだ。昨年の5月下旬、初夏の暑さの厳しい日曜日の午後、やはり内覧会の案内をもらって石神井公園にほど近いその小さな建築を訪れた。建物もまばらで周辺の林に手を伸ばしたくなるような立地に無造作に構える一軒家の住宅、その裏側に、庭の木に寄り添うがごとくたたずむ黒い杉板張りの箱が「TUNNEL」だった。すでに同級生の友人たちなど内覧会のお客さんが集まっていて、離れの中や屋外に設けられたデッキで鈴木君やお施主さんも交えて話をしている。鈴木君にとっては、独立後の最初の竣工プロジェクトだった。

「TUNNEL」はITエンジニアであるお施主さんがラップトップ1台を持ち込んで仕事や趣味の作業に没頭するための場所として計画された。内部空間では柔らかな肌触りの木質仕上げの一室を、北の高窓と西の低窓の間を立体的に蛇行するようなトンネル状の空間が貫いている。もしそんな言葉があれば、「竜行」というほうがふさわしいと思える。床面積としては10㎡にも達しない部屋で、しかも低窓の前は極端に天井が低いので一般的にいうところの有効に使える面積はさらに少なくなっているのだが、建物のサイズに比して相当巨大なアールの曲面が空間に抑揚と迫力をもたらしている。そして、高さと幅をめいっぱい使ったトンネル状空間の全長や、窓の先の光や緑を狙いすましてとらえにいくような空間の方向性が強く意識され、不思議な広がりを感じる。(写真:西川公朗写真事務所)

今、これを書きながら初めて気付いたのだが、思い切り高くとった天井から曲面で天空光を導く空間構成は、このブログで過去に書いたデンマークのヨーン・ウッツォンの設計によるバウスヴェア教会に、建物の大きさは違えど、似ている。バウスヴェア教会の礼拝室の空間形状を取り出し、石神井の離れのサイズに収まるように縮小するとともに、方位に配慮して変形を加えたのち、その空間を鋳型として、丁寧に樹種と仕様を考慮したうえで内外を木で仕上げれば「TUNNEL」になりそうだ。狭小な敷地においても作品性をそなえた建築をそこに立ち上げようという姿勢や、簡素なボリュームでも幾何学的な秩序をそこに埋め込むことによって居場所としての豊かさを実現しようという意図が、実物の建築を通してストレートに伝わってくる。建築家の処女作らしい、いい建築だなあと思った。

もっとも、内覧会の場では、このようにひとつの建築を自分なりに明示的に表現するほど言語化できていたわけではまったくなかった。周りの友人たちと、近況報告や建築各部の所感や疑問(たとえばアールの半径の決め方や、低窓の建材メーカーなどなど)について会話の間をつなぐようにぽつぽつと話をしていた。内覧会というのは、レクチャーやプレゼンを聴いたあとの質疑応答なんかに似ていて、気の利いたコメントや鋭い質問をしなければという不思議な自意識がはたらくものだ。結果僕たちは、都会の喧騒から距離をおいた木肌のトンネルの中で、そよ風揺れる木陰のデッキで、微妙に顔を見合わせながらの時間を共有していた。太宰治の格言「恋愛とはなにか。私は言う。それは非常に恥ずかしいものである。」ではないが、内覧会とは、見学者にとってもやや気恥ずかしいものなのだった。それでも、1時間前後を過ごして辞去したあとは、レジャーシートと酒類を用意してくれていた友人の誘いに乗って、5人ほどで石神井公園でピクニックを楽しんだ。

 

2、Ohnari Alley

あっという間に1年が経ち、冒頭に書いた内覧会の案内をもらった。今回は場所はさいたま市の某所、建物用途は長屋だそうだ。当日は梅雨の合間の蒸し暑い日で、背中にうっすら汗がにじむのを感じ、なんだか鈴木君の内覧会が夏の風物詩のようになってきたなと思いながら、最寄り駅から10分ほどの敷地へ向かった。敷地は建て込んだ住宅地にあり、長屋の建物は細い道路になんとか接した旗竿敷地の先に、周囲の住宅の空隙に埋め込まれるように建っていた。隣地の暗渠に沿って咲きほこる紫陽花をたまたま借景に利用できることに最大限に感謝しなければいけないほどの囲まれ具合だ。「軽そう」というのが外観を見ての第一印象だった。切妻形のボリューム、外装は主に茶系の吹付け材で、在来木造構法であることがわかる。各住戸の玄関ポーチと2階の窓の部分がわずかにくり抜かれていて、それが市松模様の立面を作っている。建物の前に鈴木君を見つけ、一緒にいたご家族にも挨拶する。僕が内覧会の一番乗りだったらしく、さっそく鈴木君がひとつの住戸の中を案内してくれることに。「TUNNEL」と同様、この長屋も写真、特に住戸の構成を示したボリューム模型写真が建築の特徴を分かりやすく表すはずだが、綺麗な竣工写真を今後撮影してもらうらしいので、ここでは写真はcoming soonとして、文章のみとしよう。

中は25㎡のメゾネットになっていて、1階は玄関を入ると正面にキッチンがあり、他に水まわりと浴室、小窓に面した造り付けの木テーブルが、約10㎡のほぼ正方形の平面に納まっている。壁は「色を選びぬいた」というクロス張り。階段で2階に上がると一室の居間となり、主開口の窓辺には造り付けの木ベンチが設えられている。この木ベンチに腰をおろし、あらためて鈴木君から建物の概要や経緯を聞かせてもらった。階段下を見下ろすと小窓の外まで斜めに視線が抜け、室面積のわりに意外な開放感がある。なお、今回は客が僕ひとりだけでリラックスしていたことや、コスト的に仕上げ材などは割り切った設計になっていてことさら力んだコメントをする必要がなかったこともあり、内覧会が気恥ずかしいという問題に関してはさほど大事ではなかった。

建物は木造2階建て、各住戸25㎡×8住戸の長屋。お施主さんは若いサラリーマンで、不動産投資のためのアパート新築らしい。お施主さんにとっても初の試みだそうだ。鈴木君は施主と建築家のマッチングサービスでお施主さんと知り合い、他にも10名ほどの候補の建築家がいたが、彼らが主に実績をアピールしていたのに対して、(独立したばかりで実績が少ないからではあるが)計画案を作って提案したところ、気に入ってもらえたらしい。ちょっといい話だなと思った。

しかしてその計画というのが、全住戸がメゾネットであり、なおかつ1、2階が単純な上下ではなく斜めにつながるという特徴的な構成だ。建物を敷地中央に配置し、両側にアプローチの通路を確保することによって、建物の片側にずらりと住戸の玄関扉が並ぶのではなく、両側に扉が設けられ、隣り合う住戸の階段がX字形に交差する位置関係のメゾネット住戸の組み合わせとなっている。計画的にはやや複雑で、他にもっと明快な構成がなかったのだろうかと、僕も家に帰ってから頭の中であれこれ考えてみた。建物を片側に寄せる、メゾネットでなくする…だが、答えが浮かばない。四周すべてで隣地との距離が近いため、各住戸が平等に2階の居間を享受できる鈴木案にしない限り、決定的に環境の悪い住戸ができてしまう。3月に書いた武蔵野の「さくらこみち」では各住戸に庭を持たせることがメゾネット採用のひとつのポイントだったが、こちらは同様の形式がどの住戸にも一定の居住環境を保証するためのおそらく唯一の手段として選択されている。

ところで、最近『建築と不動産のあいだ』という本を読んだ。これは、不動産業界の人材が建物を取引の対象と捉えるのに対して建築側はものづくりや表現の対象と捉える等々、両業界のあいだには価値観や人材特性や商慣習の違いがあり、多くの場合それぞれの縦割りで仕事が進められることを指摘したうえで、建物づくりの企画構想段階から完成後の維持管理まで建築家と不動産コンサルが常にサポートすることで、土地・建物の価値をより高められる可能性があることを主張している。そして具体例として、土地選びの段階で建築家が精度の高いボリュームチェックを行って土地のポテンシャルが見出されたケースや、「クリエイティブに」分筆線を引いて一方の土地を賃貸併用住宅、もう一方をコインパーキングとしたケースなどが紹介されている。

こうした文脈でOhnari Alleyを振り返ってみると、企画や検討の詳しい経緯はわからないが、住戸のサイズは最小限で、内外装も潤沢な建設費はなかったことが即座にわかり、建物の面積や仕様が事業収支算出というパラメーターとして抽出されるという不動産の論理に建築が押されているようには思える。ただそれでも、斜めに視線の通る住戸の組み方、とりもなおさず空気のかたどり方や、その斜めの空間の両端に設置されたささやかな滞在場所としての造り付けの家具には、建物の特徴を、人が身体的な落ち着きを感じられる居場所のほうに少しでも引き寄せようとする建築家の意志が表れているように感じた。もちろん、これも例によって内覧会の場ではっきりと言語化できていたことではなく、木ベンチでの会話はむしろ気楽な世間話のおもむきだった。紫陽花の暗渠の通路を駅のほうへ戻りながら、今回は「TUNNEL」のときよりも短時間で考えをまとめたいとは思ったが、はたして半年後や一年後にこの文章を読み返してみて納得感があるかどうか、待ちたいところだ。