My Architecture Report

建築探訪エッセイ。だいたい月一回更新。

さりげなく至宝を / 刀剣博物館

一月某日のよく晴れた午後、両国駅総武線を降りる。とはいえ、駅前にごった返す多くの人たちとは違い、大相撲初場所の観戦に来たわけではない。相撲部屋の名前が書かれ、青空に向かって色とりどりに突き出たのぼりの数々や、当日入場券売切れの貼り紙も納得の雑踏に取り巻かれた国技館の脇を通り過ぎて向かう先は、旧安田庭園、そして刀剣博物館である。

国技館と同じく墨田区の「横綱」というなんとも特徴的な町名に所在する旧安田庭園は、江戸時代の元禄年間に常陸笠間藩の築造と伝えられる大名庭園。入口付近の案内板によれば、かつては隅田川の水を引き入れ、潮の干満によって変化する景観を楽しむ、いわゆる潮入り池泉回遊式庭園であったそうだ。明治期には安田財閥創始者である初代安田善次郎の所有となり、安田翁の逝去後、故人の遺志により庭園は東京市に寄付された。現在は東京都の名勝にも指定され、一般公開されている。

敷地角の門から庭園内に入り、小径を抜けると中央に心の字形の池が広がる。かつて潮入りの水位調整のために造られた水門の遺構も残っている。池の周りには、散策する人、写真を撮る人、ベンチやあずまやに腰かけて休憩する人たちがちらほらと見え隠れする。北を見やると周囲の建物の隙間から東京スカイツリーが細身をのぞかせ、西に目を向ければ隅田川沿いの高架道路が空中を横切っている。そんな墨田区らしい、比較的雑多な風景に囲まれた由緒ある庭園の北西角、池に向き合うようにして建つコンクリートの量塊が、刀剣博物館だ。

f:id:rmI:20200127181803j:plain

f:id:rmI:20200127181824j:plain

刀剣博物館は1968年に代々木に開館し、近年この地に移転した施設で、設計を手がけたのは日本のモダニズム建築の大御所である槇文彦さん。同じ場所にかつて建っていた両国公会堂の円形の平面とドーム屋根のシンボリックな形態を新しい刀剣博物館も引き継ぎ、中央の円筒部、両翼の四角い建物ボリューム、丸い屋根三つによる大ぶりな造形の組み合わせで構成されている。円筒部の外装は打放しコンクリートの杉板本実型枠で粗く、一方で両翼部は同じ打放しコンクリートでも化粧合板型枠で滑らかに、丸い屋根はステンレス葺きでシャープな表情に…といった具合で、素材や仕上げをはっきりと切り替えて建物の構成を明示している。一目見て、明快で正統的なデザインだと感じる。

池の周りを巡ったのち一度庭園の外に出て、北東の道路側から刀剣博物館のメインエントランスに入る。ロビーとカフェごしに庭園の緑まで視線が通る明るい空間だ。さほど大きくない建物の階構成はシンプルなもので、一階がロビー、ショップ、情報コーナー、カフェ、講堂。二階には事務管理部門が入り、三階が展示室。さっそく展示室のチケットを購入し、階段で三階の展示室に上がる。この短い間だけ見てもさすがは槇さんで、上質で安定感あるデザインの空間が続く。特に、写真にある一階ロビー中央の優雅なドレープ状の幕による間接照明や、階段室の巨大なステンレスパネルが貼られた鋭角的な手摺壁といったインパクトのあるインテリア要素は、適度な破調を建物にもたらしていて見応えがあった。

f:id:rmI:20200127181843j:plain

庭園との視覚的なつながりに配慮し、明るい雰囲気で共通していた階段室までのシークエンスから一転、展示室が近づくと、身の引き締まるような薄暗い空間に切り替わる。展示室は、外観にも表れていた丸い天井の下に広がる一室空間。この日は「第六十五回 重要刀剣等新指定」なるものの展示期間中で、四周の壁沿いにひとつひとつ絹の敷布の上に据えられた刀が整然と並び、中央のケースには装飾性豊かな刀装具などが陳列されている。十数人程度のお客さんが、展示物をためつすがめつ眺めている。(展示室は写真撮影不可だったので、各自画像検索してください。)

非常に神妙な空気が張りつめている。自分にとってこんなに間近でじっくりと鑑賞するのは初めてだったが、日本刀というもの、一見するとあまりに単純な形をした鉄の物体にすぎないはずなのに、その存在感たるやほとんど現実離れしている感すらする。刃長や反りの加減、直刃や湾(のた)れといった刃文の表情、鋒(きっさき)の精妙な造形など、一刀ごとに個性豊かで、独自の緊張感がそれぞれに漂っている。説明書きには「鎌倉時代」や「南北朝時代」などとこともなげに記されているが、ゆうに五百年以上は昔に製造された刃物が新品のプロダクトのようにしんと居座っているさまは驚異だ。なるほど、日本刀が武器であるのみならず、信仰の対象や日本人の美意識や精神性の象徴と言われるのも腹の底から実感させられる。

こうして字数を割いて刀について書いているのは、もちろんその芸術性に感嘆したから。しかし同時に、刀の意匠の隅々にまで興味や注意が及ぶ鑑賞体験が強く純粋に浮かび上がってくるような展示環境が設計されていることを強調したいからでもある。建物の存在が背後に退いて、刀の存在が最前面に現れるような印象だ。設計者の解説によれば、丸い天井の縁の裏面の壁沿いの展示ケースと取り合う箇所に設置された、鑑賞者の視線に入らない位置から刀を照射するLEDのスポットライトによって、日本刀の鑑賞に最適な光環境が実現されている、とのこと。ガラスの反射や光の照射角(51度が最適との結論にたどり着いたらしい)を繊細に検討しつくしたこの設備によって、薄暗く静謐な展示室の一隅に刀がほのかな光を受けてその存在を妖しく発散させるという、無二の場が生まれている。この展示空間と展示物の組み合わせは、谷崎潤一郎が『陰翳礼讃』において陰翳と和食や漆器などの取り合わせについて述べていることにも真っすぐ通ずるだろう。

規模の割には安くない千円の展示入場料のモトをとろうという心理が働いたためか、一刀ずつじっくりと見てまわり、加えて一階の情報コーナーで上映されていた製鉄や刀鍛冶のドキュメンタリーも最後まで見る。刀匠の方たちの鬼気迫る仕事ぶりに気圧されるようで思いのほか疲れてしまい、当初は庭を眺めながらこのエッセイの下書きでもきめこもうかと考えていたが、そんな体裁を繕う余裕はもはやなく、後日に回すことにした。刀剣博物館を出て旧安田庭園を再び少しぶらつき、散歩がてら錦糸町駅まで二十分ほど歩いて帰途につく。そうして活気ある下町地域を歩いているうちに、ともすれば国技館をはじめとする著名なスポットに埋没してしまいそうな控えめな刀剣博物館が、実にさりげなく至宝の数々を収めていることをあらためて興味深く感じたし、自分の都市観が少しだけ深みを増した気もした。ひとつだけ残念だったのは、メンテナンス中だったのか、旧安田庭園を望める屋上庭園に入れなかったこと。某雑誌の企画でこの建築を訪れた櫻井翔は「確かに、公園との一体感がありますよね。とくに屋上から回遊式庭園を見下ろせるのがいい。展示室の閉じた暗い場所から、明るく開けた外部へと移動する空間の展開が面白かったです」と、満足げに語っていたのに。

     *    *    *

余談だが、前回の「ラ・コリーナ近江八幡」と今回の「刀剣博物館」の建築のテイストが対照的で面白かった。ラ・コリーナに刀を展示しても、もっさりした建築がせっかくの刀を斬れ味の悪い代物に見せてしまいそうだし、刀剣博物館でバウムクーヘンを口に入れても、近江八幡でのそれと同じようにふんわり甘い舌ざわりがするかどうか…。建築が敷地や施主、その他もろもろの文脈に即した一品生産であるという事実を端的に示す二例だと感じた。