My Architecture Report

建築探訪エッセイ。だいたい月一回更新。

気になる建築、そして町 / 真鶴出版2号店

2019年の11月、ある月曜日の午前、前職の会社での部署の朝会。部員が毎週一人ずつ行ってみたい建築についてシェアする「気になる建築」のコーナーで、僕は「真鶴出版2号店」についてプレゼンしていた。最初のスライドでは、東は房総半島の東に広がる太平洋、西は浜名湖までの広範囲を表示したグーグルマップ の地形図に、そのスケールではほとんど形が判別できないほどに小さな真鶴半島を中央に赤いピンで示した。以降のスライドで、その小さな半島に2018年にできた真鶴出版2号店の建築について、ホームページと雑誌「新建築住宅特集」のスキャンを画面に映して説明を続けた。

真鶴出版は、真鶴に移住した若い夫婦が営む出版社および宿泊施設で、僕が取り上げたのはその2号店。民家を改修し、宿とキオスクと出版社のオフィスにしたものらしい。設計はお施主さん夫婦とも同年代のトミトアーキテクチャ(冨永美保+伊藤孝仁)。「泊まれる出版社」というコンセプトが気になり、リノベーションが気になり、宿泊者向けにまち歩きによるガイドを行っているという取り組みも気になった。朝会では「そのうち泊まりに行きたいと思います」とプレゼンを締めたが、なかなか予約がとれないまま時間が経過してしまっていた。今回あらためて思い立って予約をとり、神奈川県南西部のこの小さな町に一泊二日の小旅行に行ってきた。

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2020年の8月、危険な暑さが連日猛威をふるうある土曜日、真鶴旅行に出発。チェックインは午後遅くなので、まずは東海道線で真鶴を通り過ぎ、なんとなく熱海で下りて海まで歩いてみる。海に向かってなだれこむような急峻な地形に容積の大きなコンクリートのビルが不規則に並び建つ風景は独特で、学生グループなど多くの観光客が坂道にへばりつくように往来している。海水浴場も多くの人出で賑わいを見せている。熱海はゆっくりと歩いたことがなかったので興味はひかれたが、なにしろ暑い。真鶴のまち歩きにむけて体力を温存すべく、空いている喫茶店を見つけてアイスコーヒーを注文し、長時間休んでいた。

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東海道線で10分移動して真鶴駅に下り立つと、先ほどまでの熱海とはうってかわって穏やかな風景が広がっている。人も少なく、お店や一軒家やアパートの小さな建物が起伏のついた林に混ざり込んでいるよう。しばらく歩き、道路から細い路地に入ってまもなく、切妻屋根が縦に並んだ真鶴出版2号店の外観が見えてきた。いたって普通のおうちだ。路地に面して大きな開口をとり、その脇に玄関扉が、船の錨を再利用したという大きな把手をそなえて並んでいる。段差を下りて扉を開けて中に入ると、書籍や家具調度が並ぶ土間の広間に、ご夫婦のうちの奥さん、宿泊業担当の來住(きし)さんが迎えてくれた。來住さんは三人の学生さんに何やら話をしている。この学生たち、観光のプランを作成するという課題の一環で真鶴を訪れ、飛び込み取材に来たらしい。先週に越してきたばかりだという若いスタッフの男性が、僕のチェックインの手続きや部屋の案内などを進めてくれる。出された麦茶がおいしい。二階の部屋に通されると、テーブルの上に置かれた川上弘美さんの小説、その名も『真鶴』が目に飛び込んできた。部屋の二つの窓からは、畑や家並みや東海道線へと開けた景色が望める。

一階に戻ると、來住さんがまち歩きに先立って真鶴についての簡単なレクチャーをしてくれた。学生三人組もまち歩きに飛び入り参加することになり、僕と合わせて四人、土間の長テーブルに横並びに座って話を聞く。來住さんがまず取り出したのは真鶴の観光マップで、表紙には海側から半島の全景をとらえ、奥に富士山のシルエットが浮かぶ鳥瞰写真が大きく映っている。熱海、湯河原、箱根、小田原に周囲を囲まれている位置関係や、陸地の線が揺れながら海に突き出ている半島の形状がよくわかる。來住さんはこの情報量の多い鳥瞰写真を使って、港の場所や、特産である本小松石の採石場について慣れた口調で手際よく説明される。半島突端の鬱蒼とした緑地は「お林」と呼ばれていて、元来は野原だった地が、江戸の大火の後に建材供給のために松が植林され、今では原生林のような豊かな自然の残る一帯になっているという。続いての資料は「美の基準」という冊子。こちらはバブル期のマンション建設反対運動を発端として作成されたもので、クリストファー・アレクザンダーの「パタン・ランゲージ」を参考に、真鶴らしさをもった守るべき景観要素をキーワードとして抽出したもの。この「美の基準」を含むまちづくり条例により、真鶴の親密なスケールや景観が維持されてきた。

五人連れ立って外に出ると、いきなり見どころが。それは2号店の向かいの擁壁で、本小松石のいくつもの加工の種類の石材がパッチワークの様に組み合わされている。石屋さんが普段使わない石を有効利用したものらしいが、はからずも凝ったデザインになっている。しばらくは幅2mもないような細い路地を行く。真鶴に多く見られるこの路地は背戸道(せとみち)なるもので、左右に畑地や果物の木や庭先の緑が迫り、特徴的なお散歩体験を提供してくれる。

この背戸道と道路を交互に歩き、坂道や段差を登り下りしながら、港のほうに進んでいく。移住してきて五年の來住さんは、さすが、次々とマニアックな情報を話してくれる。水の少ない真鶴には珍しい井戸。木の電柱。元々は企業の寮だったのを近年若い移住者が住み始めているアパート。「美の基準」の適用によってピンクの外壁が穏やかな色合いに仕上がった住宅、などなど。やがて真鶴港を見下ろせる高台までたどり着き、記念写真を撮ってもらい解散する。僕は熱海で温存してきた体力を使うべく、単独で港まで下り、行きとは違った道をまた登り下りして帰った。やはり高低が目まぐるしく変わり、縦にも横にも道が曲がりくねり、そして背戸道が縫うように通っている。身を細めて地元の人とすれ違ったかと思えば、急に海や山に眺望がひらけたりと、景色は変化に富んでいてスリリングでもある。でも、うろうろと歩き回っているうちに、一見複雑に見える道のつながりがわかってきた。車の走る道路同士を、あみだくじのようにいくつもの背戸道がつないでいる。ある場所から見えた地点に行きたければ道路とショートカット的に使える背戸道がちゃんと通っているので、目的地が途中で建物などの影に隠れても、目指す方向に大まかに向かっていればちゃんと到着する。そうした絶妙な信頼感がまちに対して芽生えはじめた。

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真鶴は小さな町なので、歩いていると必ず知り合いに出会うという。僕が参加した町歩きも例外ではなかった。道中、個人商店を営んでいる年配のおじさんが向かいから歩いてきた。來住さんはすっかりおなじみらしく、挨拶する。しゃべるのが好きなおじさんは、頭にのせたタオルを指して「凍らせてあるんだよ。これなら暑くないから」などと言い、來住さんは「熱中症に気をつけてくださいねー」と返している。おじさんは玄関前の段差に座ってなおも家族や店のことなどを話し続ける。それから唐突に「あれは今夜かなぁ、電気借りる、テツロウの」と話し出す。テレビ番組のことを言っているらしく、「出川ですか?」と聞くとその通りだという。「あれ面白いんだよ」と。5時の鐘が鳴り、來住さんが「まち歩いてきますね」と切りあげる。武田百合子の『富士日記』の世界から抜け出してきたような、魅力あるおじさんであった。

いったん部屋に戻り、夕食をとりに外出。宿で勧められた店がなぜか閉まっていたので、近くの料理屋に入り、カウンター席に座る。常連さんが何組か来ていて、ママと呼ばれている女性が一人で店を切り盛りしている。ビール、蛸と胡瓜の酢の物、焼き鳥、お茶漬けを順に頼む。カウンターの隣に座っていた男性は、ママの手が忙しくなると皿洗いを手伝ったりしている。そんな厨房の二人から「真鶴に遊びに来たの?」と聞かれ、真鶴出版に泊まるのだと答えると、二人ともよく知っているよと得心したような口調になって、僕に対してもより親近感を感じてくれたようだった。窓際の座敷席に座っていてご夫婦にも話しかけられた。二人は最近移住してきたばかりだそう。元々は東京にいて、一年ほど北の地方に住んだが、雪が大変なことなどから気候の良い真鶴に移ってきたとのこと。熱海のことは東京のギャルなども多くてつまらないと一蹴していたが、真鶴は落ち着いていて大変気に入っていると語られていた。店を出た後は『富士日記』の世界にでも帰っていきそうな店主とお客さんたちであった。

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さて、今回はいつになく建築そのものよりもその周辺の町や出来事ばかり書いているが、意図的なものだと思ってほしい。というのも、どうやら真鶴出版2号店は、設計者のテキストやインタビューを読んでも、お施主さんの話を聞いても、もちろん実際の建築を見ても、真鶴の日常生活や日々の人間関係と切っても切り離せない建築であるらしいのだ。施主の自己満足や建築家の自己表現のための建築ではなく。宿泊業では、短期だけでなく移住を検討している中期滞在者も受け入れているので、宿だけ別世界の癒し空間とするような、ある種安易な建築になるわけにもいかない。宿泊者の朝食は近所のパン屋「秋日和」のパンが届けられるのだが、建築を作っていく行為が、そうした日常のつながりの延長線上に、かなり積極的に位置付けられている。具体的には、たとえばモノのレベルでは、「建て替えにより解体される郵便局から入手したアルミサッシ」「干物屋さんから入手した錨の把手」「流木の脚のテーブル」「廃材で作った本棚」等々、半ば偶発的に集結することになったこれらのアイテムたちが、その背後にある真鶴の人と人のネットワークをおぼろげに感じさせながら、とてもよく建築に溶け込んでいる。また間取りにおいても、背戸道のアプローチから、通り庭、玄関、前庭、キオスク、広間、台所、階段までが滑らかに連続している。ホスト、スタッフ、ゲスト、さらに突然訪れた学生までがごく自然に場所を共有するシーンは、僕が最初に扉を開けたときにすでにあらわれていたとおり。

このあたりは、昨年末に発行された書籍『小さな泊まれる出版社』に詳しく、上述の各部の来歴や間取りの案の変遷が記されていて、お施主さん側がこだわった「真鶴らしいリノベーション」が試行錯誤を重ねながら実現されていく過程が読みとれる。「気になる建築」として訪れてみたら、予想以上に町や人との結びつきのほうにも建築の本質があった。泊まり、歩き回ることで、大袈裟に言えば、町の時空の一部になった気がした。そうした感覚は、どんな場所でのどんな滞在でも多かれ少なかれ生まれるものかもしれないけれど、この真鶴では特に濃密にそう感じた。

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深夜に突如降ってきた大雨の音でなかなか寝付けなかったが、翌朝はくだんのパン、スープ、コーヒーの朝食ですっきり目が覚めた。食後、近所を散歩して戻ってくると、來住さんとスタッフの男性が広間に来ている。ほどなく來住さんが小さな男の子も連れてきて、夫の川口さんもやってきた。午前中はそのまま広間でくつろいで話をして過ごし、チェックアウト。真鶴出版ともよく顔見知りらしい、吉祥寺から移住してきた夫婦の営む駅前のピザ屋さん「真鶴ピザ食堂ケニー」でうずわのピザをいただき、真鶴を後にした。

 

真鶴出版ホームページ https://manapub.com/