My Architecture Report

建築探訪エッセイ。だいたい月一回更新。

団地のゆるさに / 洋光台団地

洋光台団地というセレクトは、突然思いついた。この建築レポートの訪問先の候補リストはiPhoneのメモに羅列しているのだが、洋光台団地は入っていなかった。5月についてはゴールデンウィーク中にでもリストの候補地のどこかに少し遠出して行くのだろうかと当てをつけていたものの、億劫さに負ける形となって、行かずじまい。今月はスキップしてもよいかなとの考えが頭をよぎったある平日に、横浜方面、団地、そして隈さん、といった断片がなぜかスルスルとつながり、週末にさらっと出かけようと思い立ったのだった。

洋光台団地はUR都市再生機構の団地再生のモデルプロジェクトとして、隈研吾さん、佐藤可士和さんらがアドバイザー的立場として加わり、まちの活性化が進められている。団地と隈さん、ともにこれまでの回では意外にも登場することのなかった組み合わせは新鮮だった。

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外の空気が徐々に湿り気を帯びてはじめてきた5月中旬の日曜日、電車を乗り継いで洋光台駅に向かった。記憶が正しければ、3年半ぶり2回目の訪問だ。前回も隈さんの手がけた中央団地の改修を見に来たのだった。

さて、洋光台駅を降りるとすぐに団地が始まる。以前見た外壁改修と各住戸の室外機に据え付けられた木調パターンのパネルに加えて、ジグザグの屋根のかかった2層分のアーケードおよびデッキが高層棟の足元に架かり、中央広場が完成している。このアーケード、シンプルだけれど、サイズ感が絶妙だ。広場は緩やかに傾斜していて、平面的にも斜めに折れ曲がっている。それにアーケードも加わり、感覚的な言い方ではあるが、不整形の造形の調和が心地よい。広場を行く人、アーケードを歩く人がちらほらといる。アーケードは、たぶん行き交う人たちに無意識のレベルで、経路や居場所の選択肢が増える豊かさをもたらしていると思った。前回の訪問では、曇り気味だった天候に印象が左右されたのもあろうが、中央広場は寄る年波に押され気味の中年男性のように、どこかくすんだ、散漫な雰囲気だった覚えがある。それが今回、軽やかな鉄骨のアーケードというよりどころを手に入れて、程よい緊張感を取り戻したかのようだ。

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広場を通り抜けて通路に出てから交差点を渡り、「洋光台北」のエリアへと散策を続ける。こちらは比較的低層の棟が多く、配棟の角度や高低差の変化が豊か。そして緑がとても多く、劇的ではないが心憎い、何やらゆかしいランドスケープが展開してゆく。ちょっとした土手状の芝生、わずかな段数の階段、小ぶりだがうらぶれた感じのない公園など、場所ごとのアドリブが効いていて、歩いていて愉しい。芝生に群生する無数のキクの花の黄色がパラパラと風にそよぐ光景は特に美しかったし、運動場のような開けた場所では子供たちが鬼ごっこをしていた。時間の流れがゆっくりしている。

このあたりのランドスケープの魅力については、洋光台団地を特集した書籍『団地のゆるさが都市(まち)を変える』にも詳しい。すなわち第1章「隈と可士和のぶらぶら散歩」。平成25年12月4日の朝にお二人が洋光台団地を散歩した際の会話を収録したもので、デザイン界の大物同士が、樹木や遊具、道の曲がり具合などに萌えているやりとりには親近感がわく。一例を挙げると、

隈「今では和のイメージが強く枯れやすい松は、使うのに勇気が要りますね」

可「松があると背筋が伸びそうですね…」(中略)

隈「松と椿は、近代的な計画の中には見なくなりました」

と、松に着目されているのが個人的には嬉しかった。広々とした健康的なランドスケープの中に松があると、俄然その場所に古色蒼然とした重厚感が加わって一次元上のバランスが生まれることに、たまたま自分も最近気付くことがあった矢先だったから。

住棟の中に入れなかったのは残念だが、「洋光台北」の端まで到達し、引き返した。中央広場まで戻って、アーケードに面したハンバーガー屋さんで小さな兄妹の隣のカウンター席でフィッシュバーガーを味わう。洋光台団地のプロジェクトはまだまだ現在進行形。住棟の建て替えや集会所の改修も今後進むという。今回も、北のエリアは過去の名残を愛でたに過ぎないと言えばそれまでであるし。また、より広範で多角的な視点、たとえば地域のモビリティやエネルギーのシステム、コミュニティ論などからも捉えるべきだろう。でも今は、団地のゆるさに癒されたささやかな幸福感を、持ち帰る感情の中心に据えようと考えていた。

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補足で隈さんについて。今や押しも押されぬスター建築家となった隈研吾の名前はすっかり人口に膾炙し、建築専門の人もそうでない人も、それぞれに思うことはあるだろう。僕も、学部の卒業旅行で友人たちとレンタカーで栃木の隈さん設計の建物巡りをした思い出等々あるが、ここではふたつのことについて書き留めておきたい。

ひとつめは、隈さんの文章の上手さ。多数の著書や寄稿を全て読んでいるわけではもちろんないが、的確な描写や表現に感心させられること多々。例えば、槇文彦さんから論文が届いた際の一節。「槇とはたまにドライマティーニを片手に議論するのだが、封書が届いたことはなかった」。このわずかな文字数、ちょっとした言い回しの中に、槇さんとの普段の関係性や、それに対して封書が届いたことの特別感までもが、手際よく折りたたまれている。隈さんの文章で随所に見られるこうしたキレのある表現は好きだ。

もうひとつは、横浜の内陸部の場所性との結びつきとでも言えばよいか。隈さんが幼少期を過ごした大倉山についての語り口には、当時の豊かな自然の手触りが感じられるようで、妙に惹かれる。(ちなみに以前、大倉山を歩いていて、偶然「隈」という表札のかかった家を見つけたことがある。たぶんご実家なのだろう。)昨年8月の和泉川の回でも書いたように、内陸部の丘陵地や里山は横浜の原風景のひとつ。子供時代の思い出を語ることで、そうした樹林や沢といった自然との親密なイメージを喚起させてくれる横浜出身の著名人として、隈さんと作家の角田光代さんを、自分の中で勝手に「K2」と呼んで敬愛している。