My Architecture Report

建築探訪エッセイ。だいたい月一回更新。

突然の雲海 / アミューあつぎ8階

誰に頼まれるでもなく始めたこの連載も早や一年、今年度も淡々と続けていければと思う。先月からですます調でなくなっているが、深い意味はなく、単なる気分転換である。このあたりのルーズさが、個人でネットで書いている気楽なところなのだろう。

    *    *    *

今回の目的地は神奈川県厚木市の「アミューあつぎ8階」。設計は石上純也さん。僕にとって厚木市は小学校1年から中学校2年の夏までを過ごしたホームタウンで、強い愛着を持っている街である。とはいえ、あまりローカルトークに偏らず、また郷愁に浸らないようにしたい。なお、石上さんも厚木市の出身だと最近知った。僕とはいた時期がおそらく入れ違いではあるが。

4月中旬、東京では桜がすでに満開の時期を過ぎ、若葉の緑も多く混ざりはじめた時期の土曜日、小田急線で本厚木駅に赴いた。天気も良く、座間あたりから右手の車窓に大山が本格的に姿をあらわし、相模川沿いの平野の広がりも感じられてくる。"Sense of Arrival"というのだろうか、厚木が近づいてきたなと人知れず気分が盛り上がってくる。大山の山頂付近にはまだ雪が残っている。

駅周辺の開発が進み続け、僕の子供時代の景観を思い出すことが至極困難な海老名とは対照的に、相模川を渡った先の本厚木は、駅前の街の規模感がおよそ以前のままと感じる。いいことなのか悪いことなのか、わからないけれど。栄えも廃れもせずという不思議な田舎町なのかもしれない(厚木にまつわる大きな変化といえば、厚木市と海老名市出身のいきものがかりがデビューし、全国的に有名なグループに成長したことだろうか)。市街地は土曜日のお昼時で、そこそこの賑わいである。早速、一番街商店街を歩き、中ほどで右に折れて目的の建物へ向かう。

「アミューあつぎ」は、2008年に閉店したパルコが入っていたビルを厚木市が取得し、民間との共同事業によりリニューアルした官民複合施設であるらしい。パルコでは小学校高学年の時に名探偵コナンの映画を見た記憶がある。なお、向かいの元はビブレだった建物も、サティ、イオンと中身が変遷してきたようだ。アミューあつぎは地下1階から4階が商業施設、5階から8階が市の公共施設、9階が映画館という構成で、8階の子育て施設のフロアが、石上さんの設計により手が加えられたわけだ。

さて、1階から中に入ってみると、商業ビルではあるが閑散としている。エスカレーターで上に上がっていっても、パルコ時代の最盛期にはもっと商品やお客さんが溢れていたであろう商業空間の、モノや人の密度が低くなってしまったような状態との印象を受ける。なぜかエスカレーターが5階までしか届いておらず、それより上は階段かエレベーターを使うしかない動線も、どこか建物としてチグハグと感じる。さらに5階から上の公共施設も、貸しスタジオや自習オーナーが詰め込まれてはいるが、元の商業施設の空間を持て余し、使いあぐねているように見えた。もっとも、8階へ上がる途中に一瞥しただけの印象ではあるけれど。 

f:id:rmI:20190414130949j:plain

そんな7フロアを 登ってきた今、8階に到着して突如として眼前に現れた風景には、まず度肝を抜かれた。既存建物の均等に並んだコンクリートの柱の間を、くにゃくにゃと自由な曲線の形状をした巨大な壁の群れがフロアいっぱいにうごめいている。事前に写真で見てはいたが、いざ実物を目の前にすると「なんじゃこりゃー」という新鮮な驚きに打たれた。

このくにゃくにゃの壁たち、石上さんの解説の文章では「雲壁」と名付けられている。なんと読むのだろうか。うんぺき?くもかべ?ともかく、設計者がここ8階で行ったのは、36枚のすべて形状が異なる雲壁を配置して子育て関連施設の必要機能に仕切るとともに、多様な居場所を作り出すこと。配置計画上の条件に加えて、構造上の変更申請を出さないという制約があったため、新しい重量物を置けるのはグリッド状の既存の梁の上だけ。また、天井の既存の設備配管との干渉にも配慮する。そうした諸条件にもとづいて配置されている雲壁をくぐったり、横をすり抜けたりしつつフロアを進んでいくと、なるほど、いろんなシーンが見え隠れしてゆく、現れては消えてゆく。中高生の友達同士がベンチに座って喋っている屋内広場。小さな子供たちが遊んでいる三輪車のりば。遊具が置かれているスペース。雲壁にプロジェクターで動物のアニメーションが映し出されている場所。事務室。ベビーカー置き場。託児所。子育て支援センター。カーテンで仕切られた授乳室。などなど。

しかしながら、建築家の作ったコンセプトの中を歩かされているという嫌な感じはしないし、その場にいた子供たちや親子連れ、孫連れ、友達連れを観察しても、みなごく自然にうろちょろしている。大きな模型の中を徘徊しているような、ちょっと倒錯的な楽しさがある空間だ。雲壁には、公共施設の常で、注意書きやお知らせのポスターといった張り紙類あちこち貼られているが、それで建築家の作品がスポイルされている感もない。雲壁はむしろ、張り紙程度は織り込み済みの、いい意味で繊細でない、アバウトなデザインだ。

雲壁についてさらに詳しくメモしておくと、鉄骨造でモルタル仕上げ。汚れが目立たず、かつ暗い雰囲気にもならないような薄い灰色、あるいはくすんだ白色をしている。壁の厚さは数十センチ程度か。角が丸こく、唐突な例えだがiPhoneを横向きにして巨大化し、つぶしたり伸ばしたりしてめいっぱい変形し、表面に建築や土木の粗っこい仕上げを施したかのよう。叩いてみると乾いた音がして、中が空洞になっているみたいな軽い感触があった。ちなみに、この建築空間が掲載されている雑誌類には、雲壁の中身、すなわち鉄骨下地の構造や納まりの図面がなかったが、何か機密があるのだろうか。

あらためて平面図を見てみと、上から眺めた雲壁は単なる直線の壁のように表現されることになるのだが、ずいぶん様々な用途にフロアが分割されていることが再認識できる。これらを一般的な間仕切り壁で隔ててしまうと味気なく窮屈だし、かといってだだっ広い空間のままでは使い勝手に難がある。実に絶妙なバランスで雲壁が配置されていることがわかる。非人間的な既存コンクリートの構造のフレームと、小さく俊敏で予測困難な子供たちの行動のギャップを、雲壁がうまく取り持っていると言えると思う。なお、託児所や子育て支援センターは、雲壁の隙間に扉や窓がはめられ、セキュリティが確保されている。

雲壁の群れは、奇抜に見えるけれども、色々な部屋割りに対して柔軟に適用可能で、他の建物・施設にも応用できそうな可能性を感じるアイデアなのだった。そして、このように考えてくると、ごく自然に、一室まるごと雲壁の空間で使ったら楽しそうだという想像も浮かんでくる。今の小割りの使い方では、子供達が縦横無尽に雲壁の間を走り回るのはやや危険。実際、僕も低い抜けから飛び出してきた子供とぶつかりそうになった。一室まるごと使えれば、鬼ごっこ、あるいはサッカーやバスケの球技をやっても、うまく敵から身を隠せたりして面白い遊び方ができるに違いない。さらに想像をたくましくして、本物の雲のように、雲壁がゆっくりと動いたり形を変えていったり、消えたり現れたりしたら斬新だなと思ったりもする。

f:id:rmI:20190414131041j:plain

    *    *    *

1階に降り、外に出てアミューあつぎの建物を見上げてみると、やっぱり、ごく普通のビルだ。上層階に「雲海」があろうとは誰も思いもしないだろう。厚木の街というスケールでとらえれば、大規模なスクラップアンドビルドはさほど進まないで、「あの日あの時見た街」が思い出しやすいことは個人的にはありがたい。けれど、内側の変化は歳月が経つにつれて少しずつ進んでいく。その変化に敏感でいるにはどうすればよいのか。そんなことを平日の仕事の疲れがまだ残る頭でぼんやりと考えつつ、本厚木駅のほうへ戻っていった。