My Architecture Report

建築探訪エッセイ。だいたい月一回更新。

橋をいくつも横切る / 新宿シティハーフマラソン(10km)

前回も似たことを書いたように、1か月があっという間に過ぎてしまう一方で、その同じ1か月前が遥か昔のことにも感じられるという奇妙な月日の感覚が、自分のなかで近ごろ強まっている気がします。今回取り上げるのは、そんな1か月前に参加した「新宿シティハーフマラソン」。ぼくが走ったのは10キロのコースです。特定の建築物の訪問ではなく、東京のなかでもある程度馴染みのあるエリアを非日常のイベントにおいて体験した雑感を書きとめておきたいと思います。

もともとは会社の同僚の先輩が声をかけてくれ、同じ部署の4人で参加する予定だったこの大会。しかし、そのうち2人は出張などの予定によりやむなくキャンセル。加えて、企画してくれた先輩は、ぼくの10キロとは時間が完全にずれているハーフマラソンにエントリーしていたので、結局自分一人で行って走って帰ることに。この巡り合わせには、それほど渇望しているわけではないにしても「リア充」に今ひとつ手が届かない自分の生活体系に似つかわしい気がして、残念なような、妙に落ち着くような、複雑微妙な気持ちになりました。

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さて当日、外苑前駅から地上に出ると、これぞ関東の冬といえる快晴の空が広がり、身を切るような冷たく冴えた風が街路樹や建物の輪郭をくっきりと浮き立たせています。硬く澄んだ空気のなか、新国立競技場の方向へ、参加者たちが足取り軽く向かっていきます。集合場所の神宮球場には、初めて入りました。コンコースからゲートを抜けると、濃いブルーの観客席にぐるりと囲まれた人工芝のフィールドに更衣室や荷物置場の真っ白いテントが並び、その他にも運営関係のテントやゴールのゲートも。そしてフィールドにも観客席にも、ピンクや黄緑といった蛍光色など色とりどりのウェアを身にまとったランナーたちが無数に散らばっています。ハーフマラソンを走った先輩が「イベント感あったよね」と翌日のオフィスで話すことになる光景です。西側に目を向けると、スタンド最上部の縁の向こうに、新しい日本青年館の建物が、その右横には完成しかけている日体協・JOC新会館が、それぞれ四角い建物上部のシルエットをあらわし、さらに右方には新国立の頂部の庇と2本の突き出たクレーンが顔をのぞかせています。 

話は飛びますが、この数日後、イギリスの作家イアン・マキューアンの小説のなかに “あの病院は空襲で全焼し(中略)そのあとに造てられた建物や高層ビルはイギリスの恥となっている。” というロンドンの一場面の描写を見つけ、空襲ではなくとも何らかのあとに建物や高層ビルを造てる仕事に従事している身として、背筋が凍るような思いをしました。そしてもちろん、新国立をはじめとする神宮外苑が、数十年後の大作家から辛辣な言葉を浴びませんようにと切に願いました。

ぼくも周りに後れをとらぬよう、普段フットサルで着る白いゲームシャツに着替え、荷物を預けて球場の外に出ました。スタート地点は、新国立と第二球場の間をぐるりと回った先、ゴルフ練習場のふもとです。ゴルファーたちが「フム、市井の善男善女が楽しんでおるな」とでもいった具合に淡々とインパクト音を響かせている下で、何百人、あるいはもっと大勢のランナーが、路上の幅いっぱいに列をなしています。それにしても寒い、早く走りたいそう思いつつ身体を冷やさないように小走りのステップを踏みながら足元を見ると、青みがかったアスファルトに、前の季節に散ったのであろう銀杏の葉がところどころ象嵌されたように貼りついていました。

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10分ほど待機してから、一斉にスタート。神宮外苑周辺を3周して、最後は神宮球場のゴールに飛び込むコースです。スタート直後はランナーが団子状態になっていて、周りの流れに合わせるように走ります。聖徳記念絵画館を背に銀杏並木を少し走ったところで折り返し、陸上のトラックの形をした絵画館の周りの道路を反時計回りに進んでから、左に折れて絵画館を右手に見据える直線に入ります。この直線部分には給水ポイントも設置されていて、盛り上がっています。その様子が絵画館の花崗岩貼りの重厚な建築と好対照。寡黙でどっしりとした絵画館が、明るく健康的なイベントと不思議な相性の良さでもって結びついている面白い雰囲気です。直線の最後で右に曲がって再びトラック形の道路に戻り、新国立のわきを右にカーブし、信濃町駅の前へ。さらにJRの線路をまたぐ橋を渡り、左に直角に曲がります。線路に沿って道路は長い下り坂になっているので、みな勢いがつきすぎないように意識的に少しだけ速度を緩めているように感じます。無名橋の信号を過ぎ、そのままどんどん下り、右に大きくカーブして、新宿御苑の端にあたる大京町の信号にまで行き着きます。

ここで一転、左に曲がり、外苑西通り神宮外苑方面に向かって南へ行きます。外苑西通りは通常通り自動車が走っていて、ランニングのレーンは左側の狭い幅しかないので、ここではスタート直後と同じように走者が渋滞気味。無数のランナーの身体が上下にうごめきながら前進してゆくさまは、車の運転席から見ると壮観なのか鬱陶しいのか、どう映るのだろうか、なんて思ったりもします。しばらく走ると、さっきは上を渡った線路の、今度は下を通過します。続けて外苑橋もくぐり、なおも外苑西通りを走行。東京体育館と新国立の間を進み、観音橋の信号も過ぎて、仙寿院の交差点まで来たところで、神宮球場の方角へ戻るべく左折します。コース一周分の最後にさしかかる今、新国立と道路を挟んだ南側の公園を結ぶ建設中のブリッジをくぐりながら、線路沿いの下り坂で抱えた高低差の負債をきっちり返済するがごとく、神宮球場に向けて長い坂道を登ることになります。「アップダウンキツかったね」と、先輩が翌日話すことになります。

2周目に突入するころは、渋滞気味だった集団もだいぶバラけ、自分の身体も一定の速度で走る運動状態に慣れてきました。少し息が上がってきて、すっかり汗がインナーに滲んでいます。次から次に身体の内部から発生してくる熱と真冬の外気の冷たさとが皮膚やウェアのあたりで激しくせめぎあっているようなこの感じは、長距離ランニングならでは。絵画館の前では並んだ紙コップに用意されたアクエリアスも手早く飲んで水分を補給し、引き続き走ります。周りはすでに息もたえだえのランナーや、伴走者と一緒に手堅くペースを維持している視覚障害者のランナーなどさまざま。このころになると、早くも周回追い越しのトップランナーがすごい速度で走り去っていきます。垂直的なフォームは崩れる気配がなく、身体の重心は上方に保たれ、脇腹の後方両側に鋭い空気の航跡波を放っているような、力強い推進。先祖が飛脚でもしていたのだろうかと思うほどです。

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信濃町駅を過ぎた下り坂の途中で、半分の5キロに達しました。昨年の10月に中学校の行事以来久しぶりに走ったハーフマラソンと比べると、5キロでもう半分まで来たことがありがたく感じます。

「そういえば、やたら橋がたくさん出てくるな」

ふとそう思ったのは、ちょうど「無名橋」の信号表記が目に留まったときでした。1周目のことを書いた箇所では整然と順序立ててコースを説明しましたが、それは後から机の上で地図を傍らに置いて、走っていた最中の混沌とした記憶をまとめ直して書いているから。実際には、「無名橋」のプレートを見て、3キロ弱の一回りのコースがいくつもの「橋」を含んでいることにハッと気付いたのでした。それぞれの由緒については他に譲りますが、信濃町駅前の線路を渡る橋、無名橋、外苑西通りの線路の高架、外苑橋、観音橋、新国立のブリッジ。川や池などの物理的な実体としての水はないにもかかわらず、知らずのうちに、たて続けに、これほどの「橋」を渡ったり横切ったりしていたことが驚きでした。

振り返ってみると、すでに10月のハーフマラソンに、あまりに分かりやすいヒントがありました。一名「タートルマラソン」ともいうそのコースは、荒川の河川敷を北千住付近から往路ひたすらさかのぼり、復路下ってくるというもの。対岸に渡りはしないものの、当然いくつもの大きな橋のたもとをくぐることになります。いささか単調で大味でもあったその河川敷コースとは似ても似つかないような神宮外苑の入り組んだわずか3キロの周回でも、ひと続きに走ることを通じて橋をきっかけに、すなわち景色や場の雰囲気が切り替わる特殊なポイントをきっかけに、街での新しい体験を縫い上げていくことは同じだったのです。むしろ、一見分かりづらいがゆえに、かえって発見的であった気もします。

いよいよ3周目にさしかかりました。膝やふくらはぎには着実に疲労がのしかかってきているので、腕の振りや呼吸の強度を上げて、身体全体で脚の運びを牽引していくように心がけます。終盤になって各ランナーのペースはさらにまばらになっていき、ぼくは自分の走りをケアすると同時に、周囲にどんどんと意識が拡散していくような感覚に陥っていきました。他のランナーのみならず、近くにいながらもマラソンのイベントには全く関心も関係もない人たちの視点にまで広がっていく感覚です(すでにこの文章中でも、ゴルファーや外苑西通りの車のドライバーに、イベントを外側から見る役割を演じさせているのですが)。拡張現実ならぬ拡散現実、とでも言ったところか。それは、自分は今レース後半を走っているけれど、ランナーという形にオブジェ化された存在として束の間流れているに過ぎず、本来はイベント内に入り込むことが得意ではない、という意識の裏返しでしょう。

こうした妙な実感も、くだんの荒川のハーフマラソンに手がかりがありました。秋にしては強めの日差しのもと河川敷をえんえんと走っていた往路でのこと。荒川の反対側の遠くに、四角いマンションや工場が建ち並ぶ間に、うっすらと富士山が見えました。その姿は、息を切らして走りを進めている今ここの自分とは全く別次元の視点や存在があるのだという、不思議な納得感をもたらすものでした。あのときの富士山はまさに、ビルの隙間にゆったりとかまえて、走りゆく人たちを眺めていた建物や高層ビルを造る際に役立つたぐいの気付きであるのかは心許ないですが。

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最後の坂道も登りきって、神宮球場に1時間以上ぶりに帰り着き、ラスト50メートルは全力で走ってゴール。後日の筋肉痛は伴ったものの、風邪やインフルエンザにはかからず、フットサルチームのスローガンであるZKS(ぜったいけがしない!)も守ることができ、新宿シティハーフマラソン(10km)は無事に終了です。