My Architecture Report

建築探訪エッセイ。だいたい月一回更新。

Bjarke Ingels Groove / 8ハウス

9月下旬、夏季休暇を利用してデンマークに8泊9日の旅行に行きました。気候に恵まれ、大きなトラブルもなく、現地の人たちも親切に接してくれ、とても良い旅となりました。多くのスポットを訪れ、建築を見て回りましたが、これから2回に分けて、特に強く印象に残った建築家のビャルケ・インゲルスとヨーン・ウッツォンについて書こうと思います。

まずはビャルケ・インゲルス (事務所名はBIG:Bjarke Ingels Group)。今回の旅で質・量ともに最も大きなインパクトを受けました。8泊9日の間に見た、彼が関わったプロジェクトは完成年の順で以下の10個です。

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ハーバー・バス(2003)

 

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海辺のユースハウス(2004)

 

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Vハウス(2005)

 

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Mハウス(2005)

 

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マウンテン(2008)

 

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8ハウス(2009)

 

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スーパーキーレン(2012)

 

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デンマーク立海洋博物館(2013)

 

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ガンメル・ヘレルプ高等学校(2014)

 

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アマー島リソースセンター(建設中)

 

いずれも、それができる前には想像だにしなかったような風景を建築が作り出していました。そして、建物のデザイン密度や完成度はもとより、プロジェクトの企画や敷地自体がそれぞれスペシャルで魅力的だと強く感じました。しかし、それは必ずしもBIGが面白い仕事ばかりが舞い込むラッキーな事務所というわけではなく、各プロジェクトに固有の潜在的な可能性を、設計を通じて最大化している、ということなのでしょう。

ニューヨークの巨大プロジェクトやグーグルの新社屋を手がけるなど、若くして今や世界を代表する建築家になったビャルケ・インゲルスは、デンマークのスター的存在にもなっているようです。コペンハーゲンの空港の到着口を通り抜けると、運河に飛び込む人たちで賑わうハーバー・バスの大きな写真のパネルが迎えてくれます。さらにメトロへ向かうコンコースにはデンマーク立海洋博物館の観光案内看板が立っています。「BIGによるデザイン」というテキスト付きで。滞在したAirBnBの宿のホストの人たちも、ビャルケ・インゲルスの名前を出せば余計な説明は要らず、打てば響くように話が通じます。「すぐそこにビャルケ・インゲルスの作った公園のスーパーキーレンがあるから散歩に行くといいわ」「ヘレルプの高校?ああ、いい建物ですよね」みたいな感じです。旅の最終日、空港へ行く前にトランクを引きながら海辺のユースハウスを訪れた時は、女性セイラー限定イベントの日でしたが、スタッフの老婦人に「日本に帰る間際にビャルケ・インゲルスの建物を見に来たのですが」と話すと、相手は慈悲深いまなざしと共に「ええ、わかっていますよ。よく見学者が来ますから」と、コーヒーをすすりながら中で休むことを快く許可してくれました。

    *    *    *

今回見た10個の中でひとつ詳しく取り上げるなら、「8ハウス」が圧巻でした。旅行中の日記を振り返ると、「8ハウス」に行ったのは9月19日(水)の夕方です。その日は、コペンハーゲン内で宿を移動する日でした。起床、朝食ののち、近所のスーパーキーレンを散歩。この長い線状の公園が、市街地から外れた、やや雑然とした移民街の住宅地に大きな開放感をもたらしている。宿に着いて以来のその実感が、散歩しているうちにどんどん身体に馴染んできます。宿に戻り、ホストのセリーヌに感謝を述べてチェックアウト。次の宿のチェックインは午後からなので、それまではトランクを引きながら市街地に出て時間をつぶします。コペンハーゲンの街は平らで、世界の歩行者天国の先駆けとなったストロイエに代表されるように、旧市街地から運河沿いの再開発エリアにいたるまで、歩行者空間のネットワークがゆきとどいています。たくさん歩いても疲れません。そして、自分は今回乗る機会はありませんでしたが、デンマークは自転車大国でもあります。街の全域で歩道と車道の間に設けられた広い自転車レーンを大量の自転車が行き交っています。

午後3時、無事に次の宿にチェックイン。ホストのクララとニールスも気さくな人たちです。荷物を置いて、電車と地下鉄を乗り継いでアマー島に出かけます。アマー島はコペンハーゲン南部の島で、都市開発が進行中の地域。メトロ(南に向かう途中からは地上の高架に出る)の終点近くの駅で降り、集合住宅「マウンテン」を見に行きます。周囲は線路沿いの新興エリアといった風景です。「マウンテン」は、住戸が段々に積み重なって文字通り山のようになっていて、すごい迫力です。と同時に、住宅群の斜面の下は駐車場になっているなど、一見奇抜な建物が使い勝手として無理なく納まってます。そんな様子をふむふむと観察しながら建物の周りをウロウロしていると、買い物袋を提げた住人のおじさんに話しかけられました。いかにも自分の住んでいる家を自慢したいという感じで微笑ましい口調です。以下、おじさんの話。「マウンテンはとても住み心地がいい」「ほぼ全ての住戸にテラスの庭がある」「住戸は数部屋とテラスの庭で、家族構成の変化によって部屋の間仕切りを変える人もいる」「テラスはプライバシーもよく保たれているし、気持ちよい」「敷地周辺をうろついている人は大体建築関係の見学者」「隣のMハウス、Vハウス、それから一駅先の8ハウスもビャルケ・インゲルスの設計である。8ハウスは(手で宙に水平に8の字を描きながら)8の字の形の建物をずっと登っていけるのが良い」

「マウンテン」からまっすぐ南に歩き、メトロの終点の駅にまでたどり着きました。東の駅の方面から、工事中のビルやバルコニーが箱型に突き出たユニークな集合住宅の前を通り過ぎてアプローチしていくと、「8ハウス」の大きな壁面が見えてきます。そこではまだ特段の印象はないのですが、中央のピロティ部分から中庭に入っていき、地上から上に続いている長い坂道も見えてくると、徐々に濃密な生活感が感じられてきます。ただ、排他的ではなく郊外の広々とした開放感もそなえている場所です。そして、建物を南に通り抜けると突然街が途切れ、そこから先は見渡す限り一面、保存指定されているという牧草地が広がっています。一旦「8ハウス」から遠ざかり、牧草地を歩いてから戻ってくることにしました。折しも夕方の時刻、夕日を浴びて草原が黄金色に染まっています。牛たちが悠々と進み、時おり自転車のツーリング集団が颯爽と走り去っていきます。振り返ると「8ハウス」や周りのマンション、ビルが堂々と構えている姿が。建築雑誌『エーアンドユー』のデンマーク建築を特集した号の表紙は、近景に牛と草原、遠景に「8ハウス」という構図でした。それをわざとらしいと思っていたのですが、実際のほうが遥かに劇的なロケーションです。

さて、「8ハウス」に戻ります。建物の形態は平面的に横が約100メートル、縦が約200メートルの8の字の形状。面積は約6万平方メートルにものぼります。地上階にはレストランなど商業施設が入り、上が住宅という構成。その巨大な建物の全体を、8の字の形に沿ってタイル敷きの幅の広い緩やかな坂道が旋回するように取り巻き、建物の一番上まで続いています(もちろん、階段やエレベーターといった一般的な縦動線も分散して設けられています)。敷地の外から歩いてきた体験を延長するようにスッと自然に、ただし上方に登っていくことのかすかな昂揚感を伴って道が続いていき、気付けばずいぶん上まで登ってきていた、というような性格の坂道です。その坂道に面して、前庭付きのメゾネット住戸が配されているのが主な住戸形式。街路が空中に浮かびあげられたようなこの坂道では、子供達が遊んでいたり、帰宅の途につく若い男性が自転車を押していたり。下を見下ろせば8の字によってかたどられた中庭でサッカーをする少年たちがいたり。坂道に面した前庭を囲う低い塀の設えなど、プライバシーと開放性のバランスも絶妙で、前庭には住人それぞれのテーブルや椅子、バーバキューコンロ、植物、子供の遊び道具などが並べられ、犬や猫もいます。その奥、家の中には食事中の夫婦の様子が垣間見えたりもします。そして、上まで登ってくるとアマー島の縹渺(ひょうびょう)たる風景が一望できます。

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実はビャルケ・インゲルスのことを、特に注目され始めた頃は、キャッチーな形態を作るだけのトリックスターに過ぎないのではないかと疑っていたこともありました。しかし、デンマークに来て実際に建築を見て、その中や外を歩き回ってみると、集合住宅あるいは建築とは人間が暮らすための地面を作り、人の交流を作り、日常を作るのだという建築家の猛烈な意識をむしろ感じます。「8ハウス」にいたっては、その意識が大地からはいのぼってきたかのような建築です。しかもそれは、これほどの巨大な規模においても、下から上まで、端から端まで、坂道を登り下りして家々に暮らす、等身大の人間の視点での気持ちよさを追求したヒューマンスケールで貫徹されている建築です。それを実現する際、建物全体を8の字形にするというアイデアは、坂道の距離が長くなり、方向や経路が多様になることからも、かないすぎているくらい理にかなっていて、「8ハウス」という分かりやすい名称と同時に、彼らの書籍にある'Infinity Loop'という言葉もこの建築をよく表していると感じました。

コペンハーゲンの始原の風景を思わせる牧草地と先端のアーバンデザインが相まみえるロケーション。大胆かつ緻密な建築のデザイン。そして住人の人たちひとりひとりの生活。ひとつの都市あるいは国の、自然や文化の総体としての光景を、自分は今見ているのではないか…そう感じさせてくれるほどのエネルギーが「8ハウス」にはありました。